今年もお世話になりました

しばらくぶりの更新です。


父方の祖父が永眠しましたので,しばらく喪に服していました。もうしばらくは喪中だとは思いますが,いったいこのサイトはどうなってしまったんだろうと心配している方もいらっしゃると思いますので,1年の締めくくりのあいさつだけでもとの思いで更新をします。


僕が生まれてこの方,同じ屋根の下で暮らしてきた身近な人が死んでしまうのは,祖父が初めてとなります。祖父の享年が86だったことを考えても,40歳にしてこうした経験が初めてとなるのは,もしかしたら珍しいことかもしれませんが,もう少し長生きしてほしかったなというのが率直な気持ちです。高校を卒業して以来,実家を出てしまった者が言うのもおこがましいのですが,兄妹3人と両親と祖父母がいる風景は,小さいときから当たり前の風景でしたから,この正月に実家に帰省したときにそんな風景が見られないという状況は,なんだか変な感じがすると思います。


祖父は学歴こそ小学校しか卒業していませんが,小さいときから尊敬する雲の上の存在でした。46歳にして「おじいちゃん」となったこともあって,小学生の頃はまだまだ現役ばりばりで,祖父のソフトボールの試合を応援した思い出があります。言葉や漢字をよく知っていて,なんとか祖父の知らない漢字を見つけ出そうと必死に辞書を読みあさった時期もありました。なにより尊敬のまなざしの対象となっていたのは,強すぎる将棋の腕前。もちろん,どこぞで修業したなんて経験はなく,独学独習であったはずですが,村の大会で優勝をすることはおろか,ときどき県の大会にまで駒を進めてしまうほどの実力の持ち主でした。僕が大学に入学して真っ先に「将棋部」に入部したのも,なんとか祖父を追い越したいという思いがあったからだと思います。


「男子厨房に入らず」を地でいく祖父は,日曜日に出かけた家族がいつまでたっても帰ってこないと,おなかをすかせた僕の顔を見つめるや,やおら僕を連れて車を運転し,よく隣町のそば屋に行きました。今思えば,なぜ料理の出来ない(しようとしない)二人を置き去りにして家族は出かけていくのか分かりませんが,おかげでよく祖父と二人でそばを食べに行くことになりました。


そばといえば一番の思い出は,郡山駅のそば屋で夜遅くに食べた天ぷらそば。これは,平成3年の第40期王将戦で,米長邦雄・王将(当時)に南芳一棋王(当時)が挑戦したタイトル戦が,郡山市の郡山国際ホテルを会場に開催されたときのこと。祖父と二人で初めて生のプロの棋士による対局を見に行ったときのことです。本来は大盤解説会といって,別室で対局している様子を大きな将棋盤を使ってプロの解説者が説明するのを聞くだけなのですが,このときは主催者のはからいで,実際の対局場を生で見学させてもらえることに。緊迫感あふれる対局場の雰囲気は,今でも鮮明に思い出せるほど強烈な印象がありました。そして,勝敗は南棋王の勝利で王将奪取に王手をかけて・・・。こんな興奮冷めやらぬ状態で二人が帰途についたとき,ふと我に返るとおなかがぺこぺこ。そしてくだんのそば屋で天ぷらそばを食べたのでした。このそばのうまかったこと。


今,大学の教員として仕事をしていますが,祖父の思い出として今につながっていることが一つあります。それは,小学生の頃に学校の宿題をようやく終わらせて,大声で「ようし,勉強終わったぞお!」と叫んだとたん,それはそれは大きな声で祖父から叱られました。「なあに,ばかなごど言ってんだ!!勉強に終わったなんてあっがあ!!人間は,一生勉強すんだあ!!勉強しねぐなっだら,人間終わりだあ!!」それ以来,僕は必ず「ようし,宿題終わったぞお!」と言葉を選ぶようになりました。しかし,今この気持ちがものすごく大切だなと日々感じています。


というわけで,永眠した祖父との思い出を綴りました。冥福を祈ります。


さてさて,今年も1年を通して,いろいろな方のお世話になりました。本当にありがとうございました。ついに40歳を突破してしまいましたが,まだまだ若造で,なんとも人生の折り返し地点に到達したとはとても思えない状況ですが,来年もどうぞよろしくお願いいたします。


皆様もどうぞよいお年をお迎えください。

国際バイオEXPO

東京ビッグサイトで開催された国際バイオEXPOでの3日間の発表と展示を終えて岐阜に帰ってきました。いやはやものすごい数の参加者で,こんなことが毎年行われていたとはまったく知りませんでした。とはいってもほとんどの参加者のお目当ては機器メーカーの新作展示にあるわけですが,それでも早稲田大学名古屋大学などのアカデミックブースの方へも,それほど寂しくないぐらいに人だかりが出来ていました。

もちろん,我々の岐阜大学のブースにもそれなりに人が訪れてくれていたと思います。なにしろ,研究内容を紹介するために150部用意した資料は,2日間を終わってすべてなくなってしまい,急遽大学から取り寄せたほどですし,研究内容に興味をもってくださった企業の方で,いろいろと学術的な情報をやり取りした後に名刺交換をした数も約30社にのぼりましたから,まあまあ成功したといって良いと思います。あとは,今回のいろいろな方との話題交換の中で,一般市民が望んでいる研究の方向性と我々が目指している研究の方向性をいかに近づけていくかということになると思います。ニーズにばかり目が言ってしまえば,それはこじんまりとした発展性のない研究になってしまいますし,かといってニーズを無視した研究をしていても社会からは見向きもされなくなってしまいますし。

というわけで,普段のアカデミックの現場だけでは使わなかったような思考回路や大脳の領域をいっきに刺激された貴重な体験となりました。

蛇足ながら・・・,東京は右を見ても左を見ても,人・ひと・ヒトで,人があふれていました。

久しぶりの東京出張

明日から金曜日まで,東京ビッグサイトで開催されるバイオテクノロジー国際会議で講演とポスター展示を行うため,東京に出張となります。大学の知財部の言うがままに講演をすることになったのですが,主催者から矢継ぎ早にいろいろな提出物を要求されて,ばたばたと準備を進めてきました。250もの研究成果発表があるということなので,どの程度聴衆が集まってくれるか全くの未知数ですが,まあ自分の研究分野である糖鎖の世界の注目度を実感するにはちょうど良い機会だと思っています。はてさて,どうなりますことやら。

生物多様性を考える

岐阜大学で開催された「岐阜から生物多様性を考える」セミナーに参加しました。毎月第3土曜日に開催されているこの会も,今日が3回目となりました。岐阜大学では土地柄もあってか,農学部を前身とする応用生物科学部ばかりでなく,教育学部や地域科学部でも生物多様性を扱う研究を行っている先生方がおり,そうした研究成果をまとめて知るには良い機会かなと思います。


今日の話題は,湧水湿地の保全,自生する環境を越えて侵入した昆虫の内外の影響,そして長良川河口堰による生物種多様性の変化,といったものでした。それぞれ,湿地の保全を考えるスパンが100年なのか1000年なのかといった議論が起こったり,昆虫の遺伝子への影響を調べることによって,いっきに世界中の昆虫の移動の様子が垣間見れたり,河口堰が出来上がってからわずか10年あまりでがらっと生態系が変わってしまうことが明らかにされたりと,普段何気なく暮らしていると何も感じなくとも,着々と変わっていってしまっていることがあることを思い知らされました。


今日は,高校生の頃,将来は森林生態学をきわめるぞと,そうした大学を目指して入試勉強をしていた頃を思い出しながら,あこがれの先生方の話を聞きました。

所属が変わります

といっても,大学を移るという話ではなく,所属している課程(普通の大学の学科に相当します)の名称「食品生命科学課程」が,来年4月から「応用生命科学課程」に変更されることに伴ってのものです。昨日に文部科学省から名称変更の公式の認可が降りたとのことで,来年度の大学入試は当然のことながら新しい名称で学生を募集することになりました。


ちなみに,今の「食品生命科学課程」に属している学生さんたちは,そのまま卒業までその名称を使用することになります。まあ,その名前で入学してきたわけですから,当たり前だとは思いますが,移行期間の3年間はいろいろと混乱があるやもしれません。


いずれにしても,新しい名称でスタートする課程は,これまで食品科学の影に隠れがちだった(実際に隠れていたわけではなく,あくまでも受験生には見えずらかったということだと思いますが)分子生命科学分野を前面に出しつつ,これまで同様に食品生命科学分野も伸ばしていこうとする決意の表れとなっています。まあ,新しい気流に乗り遅れないようにしながら,僕自身も少し気持ちを新たにして頑張りたいと思います。


というわけで,全国津々浦々の大学受験生の皆さん,岐阜大学応用生物科学部の「応用生命科学課程」(http://www1.gifu-u.ac.jp/~lifesci/index.html)を要チェックです。

第11回酵素応用シンポジウム

先週の金曜日に名古屋で開催された「第11回酵素応用シンポジウム」に参加してきました。このシンポジウムは,名古屋に本社があり,岐阜に研究所をもつ「天野エンザイム」という会社が毎年主催しているもので,日本全国から酵素研究に関係する研究者が集まってきます。何を隠そう,僕の卒業した研究室の名称は「酵素化学研究室」ですから,当時の研究室で助手をされていた先生でいずれも今は別の大学で研究室を運営されているお二方とも,会場で期せずしてお会いすることが出来ました。


さてシンポジウムですが,研究奨励賞受賞講演では,新進気鋭の先生方がわずか20分ながら現在の研究の成果について話されているのを聞いているだけで,非常に刺激を受けました。これは,酵素研究の大御所と言われる先生方が前列にずらっと並んだ中での講演だからというばかりではなく,まさにそんな状況をものともせずに実に自分の世界にどっぷりと浸って話をしている姿に魅せられた感がありました。いつかこんな風に自信に満ちた堂々とした講演をしてみたいものです。


それから,招待講演ではほんの1週間前に一緒に3日間を伊東で過ごした貝沼圭二先生の話をまた聞く機会に恵まれたのですが,応用糖質科学と関連糖質産業というテーマで,その時代時代に関わった研究者の人となりをさりげなく紹介しながら,実にストーリー展開に魅力が感じられる講演となって,1時間という時間があっという間に過ぎてしまいました。現在貝沼先生は74歳になられたということですが,外見同様,その話しっぷりにもまったく年齢を感じさせるところが無く,まさにこんな風に歳を取りたいものだとあらためて思いました。

50年の歴史を紡ぐ澱粉研究懇談会に初参加

1960年から続いていて今回が50回記念となった『澱粉研究懇談会(スターチラウンドテーブル・SRTと略)』に初参加してきました。2泊3日を,まさに朝7時の朝食から夜11時の談話会が終わるまで,びっちり濃密に参加者約100名が時間を共有するという会で,おそらく日本には他に類を見ない研究会だと思います。さらに驚くことに,今回の50回記念の会になんと第1回から参加されている方も居りました。御年84歳とのことで,寅年生まれの僕の祖母と同い年の年男の方。僕が50年後に参加するとなると,89歳となるわけですが,なんとかその当たりを目標にいつまでも研究に携わっていられたらこんな幸せなことはないと,切に思いました。ちなみに,この会の学界関係者の参加資格は,講師として講義をすること。今回の僕は,実行委員として会の運営の手伝いということでの参加となったわけですが,なんとか近い将来に正式な参加資格を獲得したいと思います。