将棋棋士の有吉道夫九段が引退

故・大山康晴十五世名人の弟子で,史上3人しかいない60歳代A級棋士(他の2人は師匠と加藤一二三九段の二人)の一人として,74歳まで現役を貫いた有吉道夫九段が,規定により引退となりました。規定とは,将棋棋士の対局料の査定根拠となる「順位戦」の最下位クラスC級2組からの降格が決まったときに,定年(60歳)を迎えていた場合はその年の年度末に引退となるもの。といっても,この規定に従えば,3月31日に引退しているはずですが,引退が決まった後にテレビ棋戦のNHK杯への出場を史上最高齢で決めるという快挙をさらに成し遂げ,この規定の特例措置を受けてこの時期の引退となったのでした。なんと,引退が決まってからさらに10局を対戦し,6勝4敗と勝ち越したのでした。また,74歳という引退年齢は,もちろん現役最高齢です。これに続くのは,演歌歌手としても知られた内藤國雄九段の70歳(1939年生まれ),神武以来の天才と謳われた加藤一二三九段の70歳(1940年1月1日生まれ)となります。


棋士は言わずと知れた勝負の世界ですから,実力さえあればいつまでも現役でいられるのですが,74歳という年齢までその実力を保つ気力たるや,想像を絶するものがあります。決して才能だけで食いつなげられるほど甘い世界でないことは,有吉九段が今も若手棋士と一緒になって研究会に参加していたことからも,プロの現役と言うことがどういうことかを身をもって示していたのだと思います。師匠の大山康晴十五世名人は,66歳でタイトル戦に登場するという快挙を成し遂げたばかりか,順位戦で一度も降級することなくA級棋士のまま亡くなられました。弟子として住み込みで修業した経験を持つ有吉九段ですが,74歳まで現役を続けたという事実は,その偉人に匹敵する記録だと思います。


実は,有吉九段とはちょっとした縁があります。1991年に有吉九段はJT将棋日本シリーズという公開対局形式の棋戦で,羽生と決勝を戦って準優勝したことがあったのですが,その2回戦の会場が仙台でした。対戦相手の南芳一棋聖・王将(当時)との対局は,解説が青野照市八段(当時),聞き手が林葉直子女流名人(当時),時計係が山田久美女流二段(当時)という豪華メンバーでの公式対局だったのですが,その記録係がなんと,僕だったのです。1000人を超える観客の視線は,当然ながら対局の二人に注がれているわけですが,実際には正面を向いてそのお客さんと対峙しているのは,記録係である僕でした。公式戦の公式記録に僕の名前が今も残っているのは,ちょっとした自慢ですが,その対局のときに年齢差がちょうど2倍の有吉九段が見事に当時のタイトルホルダーを破った対局を,これ以上ない間近で観戦できたのは,まさに一生の宝となりました。今も,火の玉流と言われた年齢を感じさせない指しっぷりが,頭によみがえるほどです。


有吉九段,本当にお疲れ様でした。