日本最古の戸籍

正倉院に保管されている日本最古の戸籍は,大宝2年(702年)に作られた「御野國加毛郡半布里(みののくに・かもこおり・はにゅうり)戸籍」(もちろん国宝)だそうです。この戸籍には,54戸,1119人もの氏名・続柄・年齢などがほぼ完全な形で残っているということで,まさに貴重な資料として世界的に有名なのだとか。そして,その地名をよく読み返してみてびっくり。この戸籍に相当する現在の住所は,まさに美濃地方である岐阜県加茂郡富加町羽生という場所だそうで,なんとまあ1300年にわたって,その地名が受け継がれていることを示しているではありませんか。ここ岐阜は,織田信長の時代まで歴史には登場しない地域かと思いきや,なんとまあそんな貴重な資料に顔を出すとは。しかも,この戸籍以外にもいくつか岐阜由来のものが正倉院には残っているそうで,いずれも現在の地名を容易に想像することが出来るものばかりだとのこと(各務原や本巣など)。


表記の仕方については,現在は美濃として知られているこの地方も,御野,三野を経て美濃となったようですし,加茂という地名も加毛,賀茂を経てのものと,少しずつ時代によって変わってはいるものの発音が同じところが地名の地名たるゆえんです。はにゅうという字にいたっては,半布→埴生→羽丹生→羽生(はにゅう)という変遷をたどってきたそうで,たとえどんな小さな地域といえども,先人の歴史を受け継ごうとする意志が感じられてなりません。ちなみに,この「はにゅう」という地名は全国各地に点在していますが,一般的には「はに」が赤土や粘土のことを指す言葉で,「う」が生産する集落を指す言葉であることから,土器を作っていた集落のことを指すと言われていますが,この「半布」集落も縄文時代には土器を作っていた土地だったのかもしれませんね。


ところで,今や市町村合併が日本中のあちらこちらでまさにブームのごとく起こっています。ここ岐阜県でも,ほんの3年前には99もあった市町村が,今ではなんと42と半分以下に減ってしまいました。そこに暮らしてきた先人の歴史を埋もれさせないためにも,小さな地域の名前をこそ消滅させることなく大事にして欲しいなあと切に願っています。もちろん,地名を作る場合でも,歴史を学んで欲しいですね。少し前に話題となった知多半島の「南セントレア市」なんて,先人が聞いたらなんと思うか・・・。