研究と評価

師走の声を聞いたと思ったら、岐阜はもうすっかり真冬モードに突入したかのように、今日は日中でも気温が4℃という寒さ。まだ雪こそ降らないけれど、どんよりと寒々しい風景を見ていると、いつ雪が降り始めても準備は出来ているという感じだ。そんな寒さの中、1年生の食品加工実習でアイスクリームを製造し、なかなかの出来栄えに気を良くしすぎたのがたたったのか、こちらはすっかり風邪を引いてしまう始末。ふう。

ところで、大学人としては、教育者の顔と研究者の顔をバランスよく合わせ持って一人前になるもの。時に、教育者としての評価は、なかなか一筋縄に下されるものではないけれども、研究者としての評価は、ある意味では容赦なく下されるものなだけに、どんな言い訳も許されないシビアな世界たる所以の最たるものである。

日本に限らず、大学や研究所の人事選考の際に最も重要視されるのは、これまで発表してきた論文の数ということが多い。これは、論文の数が多ければ、それだけ論文発表といういわば研究のゴールに到達したプロジェクトに関わってきた数が多いということになり、問題解決力に優れているという評価につながる訳だから、一見して一理あるようにも思えるがしかし、プロジェクトの質を問うていない点に大いに問題がある。つまり、すぐ結論のでるような問題にばかり取り組んでいれば、5年もかかるような大プロジェクトに挑んだ人に比べて、多くの論文がでることは明白だからだ。

この問題を解決するべく、現在では「インパクト・ファクター(IP)」なる数字が脚光を浴びている。このIPという数字は、論文が掲載されている雑誌にそれぞれ付けられた数字で、端的に言えば「掲載された論文の過去2年間の平均被引用回数」ということになろうか。つまり、IPが「4.321」という雑誌に自分の論文が掲載されると、「過去2年間の実績からして、今後この論文は約4つの論文に引用される可能性がある」ということになる。これは、発表した論文が掲載されている雑誌のIPが高ければ高いほど、他の研究者に注目されやすい価値ある論文であることを意味している。これなら、たとえ問題解決に長年を費やすようなプロジェクトを企画したおかげで論文の数が多くなくとも、その結果注目度の高い論文を出した場合はIPが高くなる仕組みだから、一理あるようにも思えるがしかし、IPはあくまでも過去の他人の論文に対する評価であって、その人の論文に対して下された評価ではないことに問題がある。

そこで、発表した論文がこれまでにどれだけの他人の論文に引用されているかを調べる方法が、最も公平で研究に対する正当な評価が下せるのではなかろうか。というわけで、まずは我が身。これまで14の論文を世に出しているけれども、果たしていくつの論文に引用されたのかを調べてみると・・・281という予想外に多くの方に引用してもらっていることが判明。最も被引用回数が多かった論文では、48回で、最小は2回だった。もちろん、世間の話題を集めるような論文では、被引用回数は1000を超えることもまれではないのだが、これまで発表した成果が、少なくとも平均20の研究者の論文作成のお役に立てたと考えれば、まんざらでもない。

ただ、これまで発表してきた論文はいずれも教授やボスのアイデアを具現化してきたに過ぎないから、言ってみればこれまでの評価は純粋に自分に向けられたものでないことも事実。岐阜大発のこれからの論文がどう評価されるかが、真の我が身の評価になるということ。楽しみでもあり、不安でもあるが、こうした客観的な評価法が存在する世界というのは、ある意味幸せなのかもしれないなあ。