日本語の伝統と科学的表記

担当している「食品化学」という講義では,学内の学習支援システムを活用して,学生からの講義に関する質問を「掲示板」というインターネット上のサイトで受け付けています。一つ質問すると講義への参加姿勢に対する得点を加点するという約束で運営していることもあってか,学生からの質問も例年活発に寄せられています。


最近寄せられた質問の中に「なぜ『たんぱく質』と先生はひらがなで表記しているのですか」というものがありました。これは,僕が黒板にproteinについて説明するときに,必ず「たんぱく質」とひらがなで書くことに端を発しています。確かに多くの書籍や教科書の類には「タンパク質」とカタカナで書かれていることの方が多いくらいですから,すこし奇異に思えたのだと思います。しかし,これには訳がありまして,それが今日のタイトルに通じています。


つまり,僕はこう考えています。そもそも日本語においてカタカナの役割とは,外来語,擬声語,擬態語などの表記に対して用いられる文字である,ということが前提となります。これをふまえて,たんぱく質という言葉は「蛋白質」という日本語(その由来は中国から輸入された言葉ではありますが)の読みを表わしている言葉にすぎませんから,いわゆる外来語ではないということになります。漢字で表記できないのは,「蛋」という漢字が常用漢字にも人名漢字にも採用されなかったがために,新聞等で使用できない文字だという事情があります。とすると,本来日本語では書き表せない漢字の代わりに表記するのはひらがなのはずです。というわけで,講義でもひらがなを使って「たんぱく質」と書いているというわけです。


ではなぜ一般的にはカタカナで表記されていることが多いのかというと,日本の生命科学分野の代表的な辞典である「生化学辞典」に,「タンパク質」と表記されているため,この分野の研究者が慣例としてカタカナ表記を使っているといわれています。そしてさらに,生化学辞典において,なぜ外来語でもない言葉に対してカタカナでの表記をすることになったかというと,「日本生化学会」が「タンパク質と表記」することに統一していることをふまえているからだそうです。


僕自身も日本生化学会の会員ですから,本来はこの統一に従わなければなりませんが,「日本生化学会」はしかし,あくまでも数ある研究者団体の中の一つの組織にしか過ぎませんから,そこの明確な根拠のない便宜的な指導に誰もが従う必要はないのかなと思っています。それよりもむしろ,日本語のカタカナは外来語などの表記のために用いられるという日本古来の伝統を重んじてこそ,日本語を正しく使っていることになるのでしょうし,そういう姿勢を学生に見せたいなと思っています。あれ,なにかが今までと違うぞと思ってもらえることが,知識を伝えること以上に大事なことのような気がしています。単なる変人と思われている節もありますが。